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路傍・民家
相模台公園の忠魂碑
千葉県松戸市の路傍・民家(相模台公園の忠魂碑)
岩瀬473番地9相模台公園
(C)石造物ピクトラボ
《確認されている石造物は、合計2基》
「戦没供養塔」1基、「手水鉢」1鉢の石造物があります。
※『松戸市内石造文化財所在調査概報』
未掲載です。
※『松戸市石造物遺産』
未掲載です。
相模台公園の忠魂碑の石造物
(C)石造物ピクトラボ
分類(種類)
記念碑(戦没供養塔)
造 立
1956(昭和31)年3月末
像容/文字
文字
形 状
板石状自然石型
銘 文
【正面】
忠魂碑
総理大臣 吉田茂謹書
【背面】
昭和参拾壹年参月建之
説 明
※説明板には、次の通り記載されております。
「松戸市忠魂碑
総理大臣 吉田 茂 謹書
この碑は明治維新以降、日清日露、第1次世界大戦、満州事変、
支那事変、大東亜戦争、其の他に於いて、国のため一命を捧げた本
市出身の将兵、当時千二百二十柱を合
せる、松戸市戦没者慰霊の
碑であります。
本市社会福祉協議会と建設特別委員会の合同により、昭和三十一
年三月末、この地に建設されたものであります。
その費用の内には当時大関「松登」が全盛時代の頃であり本市に於
いて大相撲を開催し、その利益金を寄附されたという話も聞いてお
ります。
遺族会では、毎年春彼岸、お盆、秋彼岸とお正月に各支会の役員
により清掃と参拝をし、市の追悼式当日には、常任委員会全員の参
拝を実施しております。
現在は、転入遺家族等の増加に伴い、千八百余柱の御霊をお慰め
する鎮魂の碑として市内全域から高く崇められておるものでありま
す。
先の大戦から既に七十年が経ち関係者が徐々に少なくなってきて
いる時期にあたり国家国民のために命を捧げられた先人に感謝の念を
もってその御心を体し後世に傳えると共に我が国の平和と発展を祈
念しここに忠魂碑の謂れを明らかにするものであります。
註記
昭和三十年八月五日までに、大東亜戦争のため海外に居た日本軍
将兵は母国へ帰国した。
然し、ソ連は満州に居た日本軍将兵約六十万人を強制的にシベリ
ヤへ抑留し、日本へ帰国させずに苛酷な労働を強いた。このため約
六万人が病に倒れ、彼の地で亡くなった。
その中には松戸市出身の将兵十余人がおり、この松戸市忠魂碑の
御霊千二百二十柱の中に含まれている。
平成二十七年八月吉日
松戸市社会福祉協議会
松戸市遺族会
東葛偕行会」
備 考
※『松戸市内石造文化財所在調査概報』
未記載です。
※『松戸市石造物遺産』
未記載です。
(C)石造物ピクトラボ
分類(種類)
手水鉢
形 状
自然石型
銘 文
(※銘文なし)
備 考
※『松戸市内石造文化財所在調査概報』
未記載です。
※『松戸市石造物遺産』
未記載です。
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